風船爆弾の遺構を訪ねて/北茨城市平潟町【いばらきドローン散歩Vol.043】


茨城県立五浦美術館(北茨城市大津町)にほど近く、旧日本軍の風船爆弾の戦争遺構があります。直径10メートル余りの大型気球をこの場所から放球し、アメリカ本土を狙ったものでした。半径16メートルのコンクリートのサークルが、新緑の木々の間に忽然と表れます。
第二次大戦で敗色が濃くなってきた日本軍は、風船爆弾によってアメリカ本土を直接攻撃することを計画。「ふ」号作戦を展開しました。大本営直属の部隊を編成し、茨城県大津に部隊本部と放球攻撃の第一大隊をおきました。
晩秋から春先にかけ、太平洋の上空のジェット気流に乗ると、風船爆弾は50時間前後でアメリカ本土に着きます。爆弾と焼夷弾を投下したのち、和紙とコンニャクのりで作った直径10メートルの気球部は自動的に燃焼する仕組みでした。約9000個放球され、その内300個前後が到達したと言われています。
この風船爆弾の唯一の戦果は、無辜の子どもたちでした。オレゴン州の小さな村で、5人の子どもたちと、おなかに子どもを宿していた牧師の妻が、風船爆弾の爆発で亡くなりました。アメリカ本土で敵の攻撃を受けた唯一の犠牲者となりました。後年、地元北茨城の人々によって、この6人の慰霊碑が建立されました。